六
第 6 章
森本は窓際へ坐ってしばらく下の方を眺めていた。
「あなたの室から見た景色は相変らず好うがすね、ことに今日は好い。あの洗い落したような空の裾に、色づいた樹が、所々暖たかく塊まっている間から赤い煉瓦が見える様子は、たしかに画になりそうですね」「そうですね」 敬太郎はやむを得ずこういう答をした。
すると森本は自分が肱を乗せている窓から一尺ばかり出張った縁板を見て、「ここはどうしても盆栽の一つや二つ載せておかないと納まらない所ですよ」と云った。
敬太郎はなるほどそんなものかと思ったけれども、もう「そうですね」を繰り返す勇気も出なかったので、「あなたは画や盆栽まで解るんですか」と聞いた。
「解るんですかは少し恐れ入りましたね。全く柄にないんだから、そう聞かれても仕方はないが、――しかし田川さんの前だが、こう見えて盆栽も弄くるし、金魚も飼うし、一時は画も好きでよく描いたもんですよ」「何でもやるんですね」「何でも屋に碌なものなしで、とうとうこんなもんになっちゃった」 森本はそう云い切って、自分の過去を悔ゆるでもなし、またその現在を悲観するでもなし、ほとんど鋭どい表情のどこにも出ていない不断の顔をして敬太郎を見た。
「しかし僕はあなた見たように変化の多い経験を、少しでも好いから甞めて見たいといつでもそう思っているんです」と敬太郎が真面目に云いかけると、森本はあたかも酔っ払のように、右の手を自分の顔の前へ出して、大袈裟に右左に振って見せた。
「それがごく悪い。若い内――と云ったところで、あなたと僕はそう年も違っていないようだが、――とにかく若い内は何でも変った事がしてみたいもんでね。ところがその変った事を仕尽した上で、考えて見ると、何だ馬鹿らしい、こんな事ならしない方がよっぽど増しだと思うだけでさあ。あなたなんざ、これからの身体だ。おとなしくさえしていりゃどんな発展でもできようってもんだから、肝心なところで山気だの謀叛気だのって低気圧を起しちゃ親不孝に当らあね。――時にどうです、この間から伺がおう伺がおうと思って、つい忙がしくって、伺がわずにいたんだが、何か好い口は見付かりましたか」 正直な敬太郎は憮然としてありのままを答えた。
そうして、とうてい当分これという期待もないから、奔走をやめて少し休養するつもりであるとつけ加えた。
森本はちょっと驚ろいたような顔をした。
「へえー、近頃は大学を卒業しても、ちょっくらちょいと口が見付からないもんですかねえ。よっぽど不景気なんだね。もっとも明治も四十何年というんだから、そのはずには違ないが」 森本はここまで来て少し首を傾げて、自分の哲理を自分で噛みしめるような素振をした。
敬太郎は相手の様子を見て、それほど滑稽とも思わなかったが、心の内で、この男は心得があってわざとこんな言葉遣をするのだろうか、または無学の結果こうよりほか言い現わす手段を知らないのだろうかと考えた。
すると森本が傾げた首を急に竪に直した。
「どうです、御厭でなきゃ、鉄道の方へでも御出なすっちゃ。何なら話して見ましょうか」 いかな浪漫的な敬太郎もこの男に頼んだら好い地位が得られるとは想像し得なかった。
けれどもさも軽々と云って退ける彼の愛嬌を、翻弄と解釈するほどの僻ももたなかった。
拠処なく苦笑しながら、下女を呼んで、「森本さんの御膳もここへ持って来るんだ」と云いつけて、酒を命じた。