彼岸過迄

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三

第 51 章
市し蔵くらの卒業そつぎょうする二三にさんカ月かげつ前まえ、たしか去年きょねんの四よん月つき頃ころだったろうと思うおもう。
僕ぼくは彼かれの母ははから彼かれの結婚けっこんに関しかんして、今までいままでにない長時間ちょうじかんの相談そうだんを受けうけた。
姉あねの意思いしは固よりもとより田口たぐちの姉娘あねむすめを彼かれの嫁よめとして迎えむかえたいという単純たんじゅんにしてかつ頑固がんこなものであった。
僕ぼくは女おんなに理窟りくつを聞かきかせるのを、男おとこの恥はじのように思うおもう癖くせがあるので、むずかしい事ことはなるべく控えひかえたが、何しろなにしろこういう問題もんだいについて、できるだけ本人ほんにんの自由じゆうを許さゆるさないのは親おやの義務ぎむに背くそむくのも同然どうぜんだという意味いみを、昔むかし風かぜの彼女かのじょの腑ふに落ちるおちるように砕いくだいて説明せつめいした。
姉あねは御承知ごしょうちの通りとおり極めてきわめて穏やかおだやかな女おんなではあるが、いざとなると同じおなじ意見いけんを何度なんどでもくり返しくりかえして憚からはばからない婦人ふじんに共通きょうつうな特性とくせいを一人前いちにんまえ以上いじょうに具えそなえていた。
僕ぼくは彼女かのじょの執拗しつようを悪むにくむよりは、その根気こんきの好よしみ過ぎるすぎるところにかえって妙みょうな憐れみあわれみを催しもよおした。
それで、今いま親類しんるい中なかに、市し蔵くらの尊敬そんけいしているものは僕ぼくよりほかにないのだから、ともかくも一遍いちぺん呼び寄せよびよせてとくと話しはなして見みてくれぬかという彼女かのじょの請うけを快よくこころよく引受けひきうけた。
僕ぼくがこの目的もくてきを果すはたすために市し蔵くらとこの座敷ざしきで会見かいけんを遂げとげたのは、それから四よん日ひ目めの日曜にちようの朝あさだと記憶きおくする。
彼かれは卒業そつぎょう試験しけん間近まぢかの多忙たぼうを目めの前まえに控えひかえながら座ざに着いついて、何なん試験しけんなんかどうなったって構かまえやしませんがと苦笑くしょうした。
彼かれの説明せつめいによると、かねてその話はなしは彼かれの母ははから何度なんども聞かさきかされて、何度なんども決けつ答こたえをくり延ばしのばした陳腐ちんぷなものであった。
もっとも彼かれのそれに対するたいする態度たいどは、問題もんだいの陳腐ちんぷと反比例はんひれいにすこぶる切なせつなさそうに見えみえた。
彼かれは最後さいごに母ははから口説かくどかれた時じ、卒業そつぎょうの上うえ、どうとも解決かいけつするから、それまで待っまって呉れくれろと母ははに頼んたのんでおいたのだそうである。
それをまだ試験しけんも済ますまない先さきから僕ぼくに呼びつけよびつけられたので、多少たしょう迷惑めいわくらしく見えみえたばかりか、年寄としよりは気きが短かくみじかくって困るこまると言葉ことばに出しだしてまで訴えうったえた。
僕ぼくももっともだと思っおもった。
僕ぼくの推測すいそくでは、彼かれが学校がっこうを出るでるまでとかくの決けつ答こたえを延ばしのばしたのは、そのうちに千代子ちよこの縁談えんだんが、自分じぶんよりは適当てきとうな候補者こうほしゃの上うえに纏いまといつくに違いないと勘定かんじょうして、直接ちょくせつに母ははを失望しつぼうさせる代りかわりに、周囲しゅういの事情じじょうが母ははの意思いしを翻こぼしえさせるため自然しぜんと彼女かのじょに圧迫あっぱくを加えくわえて来るくるのを待つまつ一種いっしゅの逃避とうひ手段しゅだんに過ぎすぎないと思わおもわれた。
僕ぼくは市し蔵くらにそうじゃ無いないかと聞いきいた。
市し蔵くらはそうだと答えこたえた。
僕ぼくは彼かれにどうしても母ははを満足まんぞくさせる気きはないかと尋ねたずねた。
彼かれは何事なにごとによらず母ははを満足まんぞくさせたいのは山々やまやまであると答えこたえた。
けれども千代子ちよこを貰おうもらおうとはけっして云わいわなかった。
意地いじずくで貰わもらわないのかと聞いきいたら、あるいはそうかも知れしれないと云い切っいいきった。
もし田口たぐちがやっても好いよいと云いいい、千代子ちよこが来きても好いよいと云っいったらどうだと念ねんを押しおしたら、市し蔵くらは返事へんじをしずに黙っだまって僕ぼくの顔かおを眺めながめていた。
僕ぼくは彼かれのこの顔かおを見るみると、けっして話はなしを先さきへ進めるすすめる気きになれないのである。
畏怖いふというと仰山ぎょうさんすぎるし、同情どうじょうというとまるで憐れあわれっぽく聞こえるきこえるし、この顔かおから受けるうける僕ぼくの心持こころもちは、何なんと云っいっていいかほとんど分らわからないが、永久えいきゅうに相手あいてを諦たいらめてしまわなければならない絶望ぜつぼうに、ある凄味すごみと優しやさし味あじをつけ加えつけくわえた特殊とくしゅの表情ひょうじょうであった。
市し蔵くらはしばらくして自分じぶんはなぜこう人ひとに嫌わいやわれるんだろうと突然とつぜん意外いがいな述懐じゅっかいをした。
僕ぼくはその時じならないのと平生へいぜいの市し蔵くらに似合にあいしからないのとで驚ろかさおどろかされた。
なぜそんな愚痴ぐちを零すこぼすのかと窘なめるような調子ちょうしで反問はんもんを加えくわえた。
「愚痴ぐちじゃありません。事実じじつだから云ういうのです」「じゃ誰だれが御前ごぜんを嫌っいやっているかい」「現にげんにそういう叔父おじさんからして僕ぼくを嫌っいやっているじゃありませんか」 僕ぼくは再びふたたび驚ろかさおどろかされた。
あまり不思議ふしぎだから二三にさん度ど押問答おしもんどうの末すえ推測すいそくして見るみると、僕ぼくが彼かれに特有とくゆうな一種いっしゅの表情ひょうじょうに支配しはいされて話はなしの進行しんこうを停止ていしした時じの態度たいどを、全然ぜんぜん彼かれに対するたいする嫌悪けんおの念ねんから出でたと受けうけているらしかった。
僕ぼくは極力きょくりょく彼かれの誤解ごかいを打破だはしに掛っかかった。
「おれが何なんで御前ごぜんを悪むにくむ必要ひつようがあるかね。子供こどもの時じからの関係かんけいでも知れしれているじゃないか。馬鹿ばかを云いいいなさんな」 市蔵いちぞうは叱らしかられて激しげきした様子ようすもなくますます蒼いあおい顔かおをして僕ぼくを見つめみつめた。
僕ぼくは燐火りんかの前まえに坐っすわっているような心持こころもちがした。
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