彼岸過迄

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二

第 40 章
その日ひは生憎あいにく千代子ちよこに妨ぼうたげられた上うえ、しまいには須永すながの母ははさえ出でて来きたので、だいぶ長くながく坐っすわっていたにもかかわらず、立ち入ったちいった話はなしはいっさい持ち出すもちだす機会きかいがなかった。
ただ敬太郎けいたろうは偶然ぐうぜんにも自分じぶんの前まえに並んならんだ三さん人ひとが、ありのままの今いまの姿すがたで、現にげんに似合わしいにあわしい夫婦ふうふと姑しゅうとめになり終おわりせているという事ことにふと思い及んおもいおよんだ時じ、彼かれらを世間せけん並なみの形式けいしきで纏めるまとめるのは、最ももっとも容易いたやしい仕事しごとのように考えかんがえて帰っかえった。
次つぎの日曜にちようがまた幸いさいわいな暖かいあたたかい日和ひよりをすべての勤め人つとめにんに恵んめぐんだので、敬太郎けいたろうは朝あさ早くはやくから須永すながを尋ねたずねて、郊外こうがいに誘なおういざなおうとした。
無精むせいでわがままな彼かれは玄関先げんかんさきまで出でて来きながら、なかなか応じおうじそうにしなかったのを、母親ははおやが無理むりに勧めすすめてようやく靴くつを穿かしはかした。
靴くつを穿いはいた以上いじょう彼かれは、敬太郎けいたろうの意志いし通りとおりどっちへでも動くうごく人ひとであった。
その代りかわりいくら相談そうだんをかけても、ある判はん切せつした方角ほうがくへ是非ぜひ共とも足あしを運ばはこばなければならないと主張しゅちょうする男おとこではなかった。
彼かれと矢来やらいの松本まつもとといっしょに出るでると、二人ふたりとも行先いきさきを考えかんがえずに歩くあるくので、一致いっちしてとんでもない所ところへ到着とうちゃくする事ことがままあった。
敬太郎けいたろうは現にげんにこの人ひとの母ははの口くちからその例れいを聞かさきかされたのである。
この日ひ彼かれらは両国りょうこくから汽車きしゃに乗っのって鴻の台こうのだいの下したまで行っいって降りふりた。
それから美びくしい広いひろい河かわに沿っそって土堤どていの上うえをのそのそ歩いあるいた。
敬太郎けいたろうは久しぶりひさしぶりに晴々はればれした好いよい気分きぶんになって、水みずだの岡おかだの帆かけほかけ船ふねだのを見廻しみまわした。
須永すながも景色けしきだけは賞めほめたが、まだこんな吹き晴らしふきはらしの土堤どていなどを歩くあるく季節きせつじゃないと云っいって、寒いさむいのに伴れつれ出しだした敬太郎けいたろうを恨んうらんだ。
早くはやく歩けあるけば暖だんたかくなると出張しゅっちょうした敬太郎けいたろうはさっさと歩きあるき始めはじめた。
須永すながは呆れあきれたような顔かおをして跟いて来きた。
二人ふたりは柴又しばまたの帝釈天たいしゃくてんの傍そばまで来きて、川かわ甚じんという家いえへ這入っはいって飯めしを食っしょくった。
そこで誂あつらえらえた鰻うなぎの蒲焼かばやきが甘たるくあまたるくて食えくえないと云っいって、須永すながはまた苦いにがい顔かおをした。
先刻せんこくから二人ふたりの気分きぶんが熟しじゅくしないので、しんみりした話はなしをする余地よちが出でて来きないのを苦しくるしがっていた敬太郎けいたろうは、この時じ須永すながに「江戸っ子えどっこは贅沢ぜいたくなものだね。細君さいくんを貰うもらうときにもそう贅沢ぜいたくを云ういうかね」と聞いきいた。
「云えれいえれば誰だれだって云ういうさ。何なんも江戸っ子えどっこに限りかぎりぁしない。君きみみたような田舎いなかものだって云ういうだろう」 須永すながはこう答えこたえて澄ましすましていた。
敬太郎けいたろうは仕方なししかたなしに「江戸っ子えどっこは無愛嬌むあいきょうなものだね」と云っいって笑いわらい出しだした。
須永すながも突然とつぜんおかしくなったと見えみえて笑いわらい出しだした。
それから後あとは二人ふたりの気分きぶんと同じおなじように、二人ふたりの会話かいわも円満えんまんに進行しんこうした。
敬太郎けいたろうが須永すながから「君きみもこの頃このごろはだいぶ落ちついおちついて来きたようだ」と評さひょうされても、彼かれは「少しすこし真面目まじめになったかね」とおとなしく受けるうけるし、彼かれが須永すながに「君きみはますます偏窟へんくつに傾くかたむくじゃないか」と調ちょう戯たわむれっても、須永すながは「どうも自分じぶんながら厭いやになる事ことがある」と快よくこころよく己れおのれの弱点じゃくてんを承認しょうにんするだけであった。
こういう打ち解けうちとけた心持こころもちで、二人ふたりが差し向いさしむかいに互たがいの眼めの奥おくを見透しみとおして恥ずかしはずかしがらない時じに、千代子ちよこの問題もんだいが持ち出さもちだされたのは、その真相しんそうを聞こうきこうとする敬太郎けいたろうに取っとって偶然ぐうぜんの仕合せしあわせであった。
彼かれはまず一いち週間しゅうかんほど前まえ耳みみにした彼女かのじょが近いちかいうちに結婚けっこんするという噂うわさを皮切ひせつに須永すながを襲っおそった。
その時じ須永すながは少しすこしも昂奮こうふんした様子ようすを見せみせなかった。
むしろいつもより沈んしずんだ調子ちょうしで、「また何なんか縁談えんだんが起りおこりかけているようだね。今度こんどは旨くうまく纏まれまとまればいいが」と答えこたえたが、急きゅうに口調くちょうを更さらえて、「なに君きみは知らしらない事ことだが、今までいままでもそう云ういう話はなしは何度なんどもあったんだよ」とさも陳腐ちんぷらしそうに説明せつめいして聞かきかせた。
「君きみは貰うもらう気きはないのかい」「僕ぼくが貰うもらうように見えるみえるかね」 話しはなしはこんな風かぜに、御ご互たがいで引き摺るひきずるようにしてだんだん先さきへ進んすすんだが、いよいよ際どいきわどいところまで打ち明けるうちあけるか、さもなければ題目だいもくを更さらえるよりほかに仕方しかたがないという点てんまで押しつめおしつめられた時じ、須永すながはとうとう敬太郎けいたろうに「また洋杖すてっきを持っもって来きたんだね」と云っいって苦笑くしょうした。
敬太郎けいたろうも笑いわらいながら縁側えんがわへ出でた。
そこから例れいの洋杖すてっきを取っとってまた這入っはいって来きたが、「この通りとおりだ」と蛇へびの頭あたまを須永すながに見せみせた。
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