彼岸過迄

38/58

八

第 38 章
真鍮しんちゅうの掛札かけふだに何々なになに殿とのと書いかいた並等なみとうの竈へっついを、薄うす気味きみ悪くわるく左右さゆうに見みて裏うらへ抜けるぬけると、広いひろい空地あきちの隅すみに松薪まつまきが山やまのように積んつんであった。
周囲しゅういには綺麗きれいな孟宗もうそう藪やぶが蒼々そうそうと茂っしげるっていた。
その下したが麦畠むぎばたけで、麦畠むぎばたけの向うむこうがまた岡おか続きつづきに高くたかく蜿蜒えんえんしているので、北側きたがわの眺めながめはことに晴々しかっはればれしかった。
須永すながはこの空地あきちの端はしに立ったって広いひろい眼界がんかいをぼんやり見渡しみわたしていた。
「市しさん、もう用意よういができたんですって」 須永すながは千代子ちよこの声こえを聞いきいて黙っだまったまま帰っかえって来きたが、「あの竹藪たけやぶは大変たいへんみごとだね。何なんだか死人しにんの膏あぶらが肥料ひりょうになって、ああ生々なまなま延びるのびるような気きがするじゃないか。ここにできる筍たけのこはきっと旨いうまいよ」と云っいった。
千代子ちよこは「おお厭いやだ」と云いいい放ほうにして、さっさとまた並等なみとうを通り抜けとおりぬけた。
宵子よいこの竈へっついは上等じょうとうの一いち号ごうというので、扉とびらの上うえに紫むらさきの幕まくが張っちょうってあった。
その前まえに昨日きのうの花環はなわが少しすこし凋みしぼみかけて、台だいの上うえに静かしずかに横たわっよこたわっていた。
それが昨夜さくや宵子よいこの肉にくを焼いやいた熱気ねっきの記念きねんのように思わおもわれるので、千代子ちよこは急きゅうに息苦しくいきぐるしくなった。
御坊おぼうが三さん人ひと出でて来きた。
そのうちの一いち番ばん年ねんを取っとったのが「御ご封印ふういんを……」と云ういうので、須永すながは「よし、構わかまわないから開けあけてくれ」と頼んたのんだ。
畏まっかしこまった御坊おぼうは自分じぶんの手てで封印ふういんを切っきって、かちゃりと響くひびく音おとをさせながら錠じょうを抜いぬいた。
黒いくろい鉄てつの扉とびらが左右さゆうへ開くひらくと、薄暗いうすぐらい奥おくの方ほうに、灰色はいいろの丸いまりいものだの、黒いくろいものだの、白いしろいものだのが、形かたちを成さなさない一塊いっかいとなって朧気おぼろきに見えみえた。
御坊おぼうは「今いま出しだしましょう」と断っことわって、レールれーるを二に本ほん前まえの方ほうに継ぎ足しつぎたしておいて、鉄てつの環かんに似にたものを二につ棺台かんだいの端はしにかけたかと思うおもうと、いきなりがらがらという音おとと共ともに、かの形かたちを成さなさない一塊いっかいの焼やけ残ざんが四よん人ひとの立ったっている鼻はなの下したへ出でて来きた。
千代子ちよこはそのなかで、例れいの御供ごくに似にてふっくらと膨らんふくらんだ宵子よいこの頭蓋骨ずがいこつが、生きいきていた時じそのままの姿すがたで残っのこっているのを認めみとめて急きゅうに手帛はんけちを口くちに銜えくわえた。
御坊おぼうはこの頭蓋骨ずがいこつと頬骨ほおぼねと外そとに二につ三さんつの大きなおおきな骨ほねを残しのこして、「あとは綺麗きれいに篩っふるいって持っもって参りまいりましょう」と云っいった。
四よん人ひとは各自かくじ木き箸はしと竹箸たけばしを一いち本ほんずつ持っもって、台だいの上うえの白骨はっこつを思い思いおもいおもいに拾っじゅうっては、白いしろい壺つぼの中なかへ入れいれた。
そうして誘いさそい合せあわせたように泣いないた。
ただ須永すながだけは蒼白いあおじろい顔かおをして口くちも利かりかず鼻はなも鳴らさならさなかった。
「歯はは別べつになさいますか」と聞きききながら、御坊おぼうが小器用しょうきように歯はを拾いひろい分けわけてくれた時じ、顎あごをくしゃくしゃと潰しつぶしてその中なかから二三にさん枚ばい択りより出しだしたのを見みた須永すながは、「こうなるとまるで人間にんげんのような気きがしないな。砂すなの中なかから小石こいしを拾い出すひろいだすと同じおなじ事ことだ」と独言どくげんのように云っいった。
下女げじょが三和土たたきの上うえにぽたぽたと涙なみだを落しおとした。
御ご仙せんと千代子ちよこは箸はしを置いおいて手帛はんけちを顔かおへ当てあてた。
車くるまに乗るのるとき千代子ちよこは杉すぎの箱ばこに入れいれた白いしろい壺つぼを抱いいだいてそれを膝ひざの上うえに載せのせた。
車くるまが馳はせけ出すけだすと冷たいつめたい風かぜが膝掛ひざかけと杉箱すぎばこの間まから吹き込んふきこんだ。
高いたかい欅けやきが白茶けしらちゃけた幹みきを路みちの左右さゆうに並べならべて、彼かれらを送り迎えるおくりむかえるごとくに細いほそい枝えだを揺り動かしゆりうごかした。
その細いほそい枝えだが遥かはるか頭あたまの上うえで交叉こうさするほど繁くしげく両側りょうがわから出でているのに、自分じぶんの通るとおる所ところは存外ぞんがい明るいあかるいのを奇妙きみょうに思っおもって、千代子ちよこは折々おりおり頭あたまを上げあげては、遠いとおい空そらを眺めながめた。
宅たくへ着いついて遺骨いこつを仏壇ぶつだんの前まえに置いおいた時じ、すぐ寄っよって来きた小供こどもが、葢おおいを開けあけて見せみせてくれというのを彼女かのじょは断然だんぜん拒絶きょぜつした。
やがて家内かない中なか同じおなじ室むろで昼飯ちゅうはんの膳ぜんに向っむかった。
「こうして見るみると、まだ子供こどもがたくさんいるようだが、これで一人ひとりもう欠けかけたんだね」と須永すながが云いいい出しだした。
「生きいきてる内うちはそれほどにも思わおもわないが、逝かいかれて見るみると一番いちばん惜しいおしいようだね。ここにいる連中れんちゅうのうちで誰だれか代りかわりになればいいと思うおもうくらいだ」と松本まつもとが云っいった。
「非道いひどいわね」と重子しげこが咲子さきこに耳語じごいた。
「叔母おばさんまた奮発ふんぱつして、宵子よいこさんと瓜二つうりふたつのような子こを拵えこしらえてちょうだい。可愛かわいがって上げるあげるから」「宵子よいこと同じおなじ子こじゃいけないでしょう、宵子よいこでなくっちゃ。御ご茶碗ちゃわんや帽子ぼうしと違っちがって代りかわりができたって、亡くしなくしたのを忘れるわすれる訳わけにゃ行かいかないんだから」「己おのれは雨あめの降るふる日ひに紹介状しょうかいじょうを持っもって会いあいに来るくる男おとこが厭いやになった」
須永すながの話はなし
38/58