彼岸過迄

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五

第 43 章
だから僕ぼくは母ははをできるだけ大事だいじにしなければすまない。
が、実際じっさいは同じおなじ源みなもと因いんがかえって僕ぼくをわがままにしている。
僕ぼくは去年きょねん学校がっこうを卒業そつぎょうしてから今日きょうまで、まだ就職しゅうしょくという問題もんだいについてただの一日いちにちも頭あたまを使っつかった事ことがない。
出でた時じの成績せいせきはむしろ好いよい方ほうであった。
席次せきじを目安めやすに人ひとを採るとる今いまの習慣しゅうかんを利用りようしようと思えおもえば、随分ずいぶん友達ともだちを羨ましうらやましがらせる位置いちに坐り込むすわりこむ機会きかいもないではなかった。
現にげんに一度いちどはある方面ほうめんから人選じんせんの依託いたくを受けうけた某ぼう教授きょうじゅに呼ばよばれて意向いこうを聞かきかれた記憶きおくさえ有っあっている。
それだのに僕ぼくは動かうごかなかった。
固よりもとより自慢じまんでこう云ういう話はなしをするのではない。
真底しんそこを打ち明けれうちあければむしろ自慢じまんの反対はんたいで、全くまったく信念しんねんの欠乏けつぼうから来きた引込みひっこみ思案しあんなのだから不愉快ふゆかいである。
が、朝あさから晩ばんまで気骨きぼねを折っおって、世の中よのなかに持て囃さもてはやされたところで、どこがどうしたんだという横着おうちゃくは、無論むろん断わることわる時じからつけ纏っまとっていた。
僕ぼくは時めくときめくために生れうまれた男おとこではないと思うおもう。
法律ほうりつなどを修めおさめないで、植物学しょくぶつがくか天文学てんもんがくでもやったらまだ性せいに合っあった仕事しごとが天てんから授かるさずかるかも知れしれないと思うおもう。
僕ぼくは世間せけんに対したいしてははなはだ気きの弱いよわい癖くせに、自分じぶんに対したいしては大変たいへん辛抱しんぼうの好いよい男おとこだからそう思うおもうのである。
こういう僕ぼくのわがままをわがままなりに通しとおしてくれるものは、云ういうまでもなく父ちちが遺しのこして行っいったわずかばかりの財産ざいさんである。
もしこの財産ざいさんがなかったら、僕ぼくはどんな苦しいくるしい思おもうをしても、法学ほうがく士しの肩書かたがきを利用りようして、世間せけんと戦いくさかわなければならないのだと考えるかんがえると、僕ぼくは死んしんだ父ちちに対したいして改あらためためて感謝かんしゃの念ねんを捧げささげたくなると同時どうじに、自分じぶんのわがままはこの財産ざいさんのためにやっと存在そんざいを許さゆるされているのだからよほど腰こしの坐らすわらないあさはかなものに違いないと推断すいだんする。
そうしてその犠牲ぎせいにされている母ははが一層いっそう気の毒きのどくになる。
母ははは昔むかし堅気かたぎの教育きょういくを受けうけた婦人ふじんの常つねとして、家名かめいを揚げるあげるのが子こたるものの第だい一いちの務つとむだというような考えかんがえを、何なんより先さきに抱いいだいている。
しかし彼女かのじょの家名かめいを揚げるあげるというのは、名誉めいよの意味いみか、財産ざいさんの意味いみか、権力けんりょくの意味いみか、または徳望とくぼうの意味いみか、そこへ行くいくと全くまったく何なんの分別ぶんべつもない。
ただ漠然ばくぜんと、一いちつが頭あたまの上うえに落ちおちて来れこれば、すべてその他ほかが後あとを追っおって門前もんぜんに輻湊ふくそうするぐらいに思っおもっている。
しかし僕ぼくはそういう問題もんだいについて、何事なにごとも母ははに説明せつめいしてやる勇気ゆうきがない。
説明せつめいして聞かきかせるには、まず僕ぼくの見識けんしきでもっともと認めみとめた家名かめいの揚げあげ方ほうをした上うえでないと、僕ぼくにその資格しかくができないからである。
僕ぼくはいかなる意味いみにおいても家名かめいを揚げあげ得るうる男おとこではない。
ただ汚さきたなさないだけの見識けんしきを頭あたまに入れいれておくばかりである。
そうしてその見識けんしきは母ははに見せみせて喜こんよろこんで貰えるもらえるどころか、彼女かのじょとはまるでかけ離れかけはなれた縁えんのないものなのだから、母ははも心細いこころぼそいだろう。
僕ぼくも淋しいさびしい。
僕ぼくが母ははにかける心配しんぱいの数すうあるうちで、第だい一いちに挙げあげなければならないのは、今いま話しはなした通りとおりの僕ぼくの欠点けってんである。
しかしこの欠点けってんを矯めためずに母ははと不足ふそくなく暮らしくらして行かいかれるほど、母ははは僕ぼくを愛しあいしていてくれるのだから、ただすまないと思うおもう心こころを失なわうしなわずに、このままで押せおせば押せおせない事こともないが、このわがままよりももっと鋭どいするどい失望しつぼうを母ははに与えあたえそうなので、僕ぼくが私かわたくしかに胸むねを痛めいためているのは結婚けっこん問題もんだいである。
結婚けっこん問題もんだいと云ういうより僕ぼくと千代子ちよこを取り巻くとりまく周囲しゅういの事情じじょうと云っいった方ほうが適当てきとうかも知れしれない。
それを説明せつめいするには話はなしの順序じゅんじょとしてまず千代子ちよこの生れうまれない当時とうじに溯そぼる必要ひつようがある。
その頃ころの田口たぐちはけっして今いまほどの幅はば利りでも資産家しさんかでもなかった。
ただ将来しょうらい見込みこみのある男おとこだからと云ういうので、父ちちが母ははの妹いもうとに当るあたるあの叔母おばを嫁よめにやるように周旋しゅうせんしたのである。
田口たぐちは固よりもとより僕ぼくの父ちちを先輩せんぱいとして仰いおっしゃいでいた。
なにかにつけて相談そうだんもしたり、世話せわにもなった。
両家りょうけの間まに新らしくあたらしく成立せいりつしたこの親しいしたしい関係かんけいが、月つきと共ともに加速度かそくどをもって円満えんまんに進行しんこうしつつある際さいに千代子ちよこが生れうまれた。
その時じ僕ぼくの母はははどう思っおもったものか、大きくおおきくなったらこの子こを市し蔵くらの嫁よめにくれまいかと田口たぐち夫婦ふうふに頼んたのんだのだそうである。
母ははの語るかたるところによると、彼かれらはその折おり快よくこころよく母ははの頼みたのみを承諾しょうだくしたのだと云ういう。
固よりもとより後あとから百ひゃく代だいが生まれるうまれる、吾一ごいちという男の子おとこのこもできる、千代子ちよこもやろうとすればどこへでもやられるのだが、きっと僕ぼくにやらなければならないほど確かたしかに母ははに受合っうけあったかどうか、そこは僕ぼくも知らしらない。
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