彼岸過迄

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五

第 15 章
彼かれは今日きょうまで、俗ぞくにいう下町したまち生活せいかつに昵懇じっこんも趣味しゅみも有ゆうち得とくない男おとこであった。
時たまときたま日本橋にほんばしの裏通りうらどおりなどを通っとおって、身みを横よこにしなければ潜れもぐれない格子戸こうしとだの、三和土たたきの上うえから訳わけもなくぶら下がっぶらさがっている鉄てつ灯籠とうろうだの、上り框あがりかまちの下したを張り詰めはりつめた綺麗きれいに光るひかる竹たけだの、杉すぎだか何なんだか日光にっこうが透っとおって赤くあかく見えるみえるほど薄っぺらうすっぺらな障子しょうじの腰こしだのを眼めにするたびに、いかにもせせこましそうな心持こころもちになる。
こう万事ばんじがきちりと小さくちいさく整せいのってかつ光っひかりっていられては窮屈きゅうくつでたまらないと思うおもう。
これほど小ぢんまりこぢんまりと几帳面きちょうめんに暮らしくらして行くいく彼かれらは、おそらく食後しょくごに使うつかう楊枝ようじの削りけずり方ほうまで気きにかけているのではなかろうかと考えるかんがえる。
そうしてそれがことごとく伝説でんせつ的まとの法則ほうそくに支配しはいされて、ちょうど彼かれらの用いるもちいる煙草盆たばこぼんのように、先祖せんぞ代々だいだい順々じゅんじゅんに拭き込まふきこまれた習慣しゅうかんを笠かさに、恐るおそるべく光っひかりっているのだろうと推察すいさつする。
須永すながの家いえへ行っいって、用ようもない松まつへ大事だいじそうな雪ゆき除じょをした所ところや、狭いせまい庭にわを馬鹿ばか丁寧ていねいに枯かれ松葉まつばで敷きつめしきつめた景色けしきなどを見るみる時じですら、彼かれは繊細せんさいな江戸えど式しきの開花かいかの懐ふところに、ぽうと育っそだった若旦那わかだんなを聯想れんそうしない訳わけに行かいかなかった。
第一だいいち須永すながが角帯かくおびをきゅうと締めしめてきちりと坐るすわる事ことからが彼かれには変へんであった。
そこへ長唄ながうたの好きすきだとかいう御ご母さんははさんが時々ときどき出でて来きて、滑っこいすべっこい癖くせにアクセントあくせんとの強いつよい言葉ことばで、舌した触ふれの好いよい愛嬌あいきょうを振りかけふりかけてくれる折おりなどは、昔むかしから重詰じゅうづめにして蔵くらの二に階かいへしまっておいたものを、今いま取り出しとりだして来きたという風かぜに、出来合できあい以上いじょうの旨むねさがあるので、紋切もんきり形かたちとは無論むろん思わおもわないけれども、幾代いくよもかかって辞令じれいの練習れんしゅうを積んつんだ巧みたくみが、その底そこに潜んひそんでいるとしか受取れうけとれなかった。
要するようするに敬太郎けいたろうはもう少しすこし調子ちょうし外れはずれの自由じゆうなものが欲しかっほしかったのである。
けれども今日きょうの彼かれは少くすくなくとも想像そうぞうの上うえにおいて平生へいぜいの彼かれとは違っちがっていた。
彼かれは徳川とくがわ時代じだいの湿っぽいしめっぽい空気くうきがいまだに漂よっただよっている黒いくろい蔵くら造つくりの立ち並ぶたちならぶ裏通うらみちに、親譲りおやゆずりの家いえを構えかまえて、敬たかしちゃん御ご遊びあそびなという友達ともだちを相手あいてに、泥棒どろぼうごっこや大将たいしょうごっこをして成長せいちょうしたかった。
月つきに一いち遍へんずつ蠣殼町かきがらちょうの水天宮すいてんぐう様ようと深川ふかがわの不動ふどう様ようへ御ご参りまいりをして、護摩ごまでも上げあげたかった。
(現にげんに須永すながは母ははの御供ごくをしてこういう旧弊きゅうへいな真似まねを当り前あたりまえのごとくやっている。
)それから鉄無地てつむじの羽織はおりでも着きながら、歌舞伎かぶきを当世とうせいに崩しくずして往来おうらいへ流しながした匂においのする町内ちょうないを恍惚こうこつと歩きあるきたかった。
そうして習慣しゅうかんに縛らしばられた、かつ習慣しゅうかんを飛び超えとびこえた艶めかしいなまめかしい葛藤かっとうでもそこに見出しみだしたかった。
彼かれはこの時じたちまち森本もりもとの二に字じを思い浮かべおもいうかべた。
するとその二に字じの周囲しゅういにある空想くうそうが妙みょうに色いろを変えかえた。
彼かれは物もの好よしみにも自らみずから進んすすんでこの後ろ暗いうしろぐらい奇人きじんに握手あくしゅを求めもとめた結果けっかとして、もう少しすこしでとんだ迷惑めいわくを蒙もうむるところであった。
幸いさいわいに下宿げしゅくの主人しゅじんが自分じぶんの人格じんかくを信じしんじたからいいようなものの、疑ぐろううたぐろうとすればどこまでも疑ぐらうたぐられ得るうる場合ばあいなのだから、主人しゅじんの態度たいどいかんに依っよっては警察けいさつぐらいへ行かいかなければならなかったのかも知れしれない。
と、こう考えるかんがえると、彼かれの空中くうちゅうに編み上げるあみあげる勝手かってな浪漫ろまんが急きゅうに温おん味あじを失っうしなって、醜くいみにくい想像そうぞうからでき上っできあがった雲の峰くものみね同様どうように、意味いみもなく崩れくずれてしまった。
けれどもその奥おくに口髭くちひげをだらしなく垂らしたらした二重瞼にじゅうまぶたの瘠ぎすやせぎすの森本もりもとの顔かおだけは粘り強くねばりづよく残っのこっていた。
彼かれはその顔かおを愛しあいしたいような、侮りあなどりたいような、また憐みあわれみたいような心持こころもちになった。
そうしてこの凡庸ぼんような顔かおの後あとに解すかいすべからざる怪しいあやしい物ものがぼんやり立ったっているように思っおもった。
そうして彼かれが記念きねんにくれると云っいった妙みょうな洋杖すてっきを聯想れんそうした。
この洋杖すてっきは竹たけの根ねの方ほうを曲げまげて柄がらにした極めてきわめて単簡たんかんのものだが、ただ蛇へびを彫っほってあるところが普通ふつうの杖つえと違っちがっていた。
もっとも輸出ゆしゅつ向むかいによく見るみるように蛇へびの身みをぐるぐる竹たけに巻きつけまきつけた毒々しいどくどくしいものではなく、彫っほってあるのはただ頭あたまだけで、その頭あたまが口くちを開けあけて何なんか呑みのみかけているところを握にしたものであった。
けれどもその呑みのみかけているのが何なんであるかは、握りにぎりの先さきが丸くまるく滑っこくすべっこく削らけずられているので、蛙かわずだか鶏卵けいらんだか誰だれにも見当けんとうがつかなかった。
森本もりもとは自分じぶんで竹たけを伐っきって、自分じぶんでこの蛇へびを彫っほったのだと云っいっていた。
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