彼岸過迄

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十

第 58 章
約束やくそくの音信おんしんは至る所いたるところからあった。
勘定かんじょうすると大抵たいてい日ひに一いち本ほんぐらいの割わりになっている。
その代りかわり多くおおくは旅先たびさきの画が端書はしがきに二三にさん行こうの文句もんくを書き込んかきこんだ簡略かんりゃくなものに過ぎすぎなかった。
僕ぼくはその端書はしがきが着くつくたびに、まず安心あんしんしたという顔つきかおつきをして、妻つまからよく笑わわらわれた。
一度いちど僕ぼくがこの様子ようすなら大丈夫だいじょうぶらしいね、どうも御前ごぜんの予言よげんの方ほうが適中てきちゅうしたらしいと云っいった時じ、妻つまは愛想あいそもなく、当り前あたりまえですわ、三さん面めん記事きじや小説しょうせつ見みたような事ことが、滅多めったにあってたまるもんですかと答えこたえた。
僕ぼくの妻つまは小説しょうせつと三さん面めん記事きじとを同じおなじ物もののごとく見傚すみなす女おんなであった。
そうして両方りょうほうとも嘘うそと信じしんじて疑わうたがわないほど浪漫ろまん斯ここに縁えんの遠いとおい女おんなであった。
端書はしがきに満足まんぞくした僕ぼくは、彼かれの封筒ふうとう入いりの書翰しょかんに接しせっし出しだした時じさらに眉まゆを開いひらいた。
というのは、僕ぼくの恐れおそれを抱いいだいていた彼かれの手てが、陰欝いんうつな色いろに巻紙まきがみを染めそめた痕迹こんせきが、そのどこにも見出せみだせなかったからである。
彼かれの状袋じょうぶくろの中なかに巻き納めまきおさめた文句もんくが、彼かれの端書はしがきよりもいかに鮮かあざやかに、彼かれの変化へんかした気分きぶんを示ししめしているかは、実際じっさいそれを読んよんで見みないと分らわからない。
ここに二三にさん通つう取っとってある。
彼かれの気分きぶんを変化へんかするに与かっあずかって効力こうりょくのあったものは京都きょうとの空気くうきだの宇治うじの水みずだのいろいろある中なかに、上方かみがた地方ちほうの人ひとの使うつかう言葉ことばが、東京とうきょうに育っそだった彼かれに取っとっては最ももっとも興味きょうみの多いおおい刺戟しげきになったらしい。
何なん遍へんもあの辺へんを通過つうかした経験けいけんのあるものから云ういうと馬鹿げばかげているが、市し蔵くらの当時とうじの神経しんけいにはああ云ういう滑らかなめらかで静かしずかな調子ちょうしが、鎮経ちんきょう剤ざい以上いじょうに優しいやさしい影響えいきょうを与えあたえ得とくたのではなかろうかと思うおもう。
なに若いわかい女おんなの?
それは知らしらない。
無論むろん若いわかい女おんなの口くちから出れでれば効目ききめが多いおおいだろう。
市し蔵くらも若いわかい男おとこの事ことだから、求めもとめてそう云ういう所ところへ近づいちかづいたかも知れしれない。
しかしここに書いかいてあるのは、不思議ふしぎに御ご婆ばあさんの例れいである。
――「僕ぼくはこの辺へんの人ひとの言葉ことばを聞くきくと微かかすかな酔よいに身みを任せまかせたような気分きぶんになります。ある人ひとはべたついて厭いやだと云いいいますが、僕ぼくはまるで反対はんたいです。厭いやなのは東京とうきょうの言葉ことばです。むやみに角度かくどの多いおおい金米糖こんぺいとうのような調子ちょうしを得意とくいになって出しだします。そうして聴手ききての心こころを粗暴そぼうにして威張りいばります。僕ぼくは昨日きのう京都きょうとから大阪おおさかへ来きました。今日きょう朝日新聞あさひしんぶんにいる友達ともだちを尋ねたずねたら、その友人ゆうじんが箕面みのおという紅葉こうようの名所めいしょへ案内あんないしてくれました。時節じせつが時節じせつですから、紅葉こうようは無論むろん見みられませんでしたが、渓けい川かわがあって、山やまがあって、山やまの行き当りいきあたりに滝たきがあって、大変たいへん好いよい所ところでした。友人ゆうじんは僕ぼくを休まやすませるために社しゃの倶楽部くらぶとかいう二に階かい建けんの建物たてものの中なかへ案内あんないしました。そこへ這入っはいって見るみると、幅はばの広いひろい長いながい土間どまが、竪たてに家いえの間口まぐちを貫ぬいつらぬいていました。そうしてそれがことごとく敷しき瓦かわらで敷きつめしきつめられている模様もようが、何なんだか支那しなの御ご寺てらへでも行っいったような沈んしずんだ心持こころもちを僕ぼくに与えあたえました。この家いえは何なんでも誰だれかが始めはじめ別荘べっそうに拵えこしらえたのを、朝日新聞あさひしんぶんで買い取っかいとって倶楽部くらぶ用ようにしたのだとか聞きききましたが、よし別荘べっそうにせよ、瓦かわらを畳んたたんで出来できている、この広々ひろびろとした土間どまは何なんのためでしょう。僕ぼくはあまり妙みょうだから友人ゆうじんに尋ねたずねて見みました。ところが友人ゆうじんは知らしらんと云いいいました。もっともこれはどうでも構わかまわない事ことです。ただ叔父おじさんがこう云ういう事ことに明らかあきらかだから、あるいは知っしっておいでかも知れしれないと思っおもって、ちょっと蛇足だそくに書き添えかきそえただけです。僕ぼくの御ご報知ほうちしたいのは実じつはこの広いひろい土間どまではなかったのです。土間どまの上うえに下りくだりていた御ご婆ばあさんが問題もんだいだったのです。御ご婆ばあさんは二人ふたりいました。一人ひとりは立ったって、一人ひとりは椅子いすに腰こしをかけていました。ただし両方りょうほうともくりくり坊主ぼうずです。その立ったっている方ほうが、僕ぼくらが這入るはいるや否いなや、友人ゆうじんの顔かおを見みて挨拶あいさつをしました。そうして『おや御免ごめんやす。今いま八十六はちじゅうろくの御ご婆ばあさんの頭あたまを剃っそっとるところだすよって。――御ご婆ばあさんじっとしていなはれや、もう少しすこしだけれ。――よう剃っそったけれ毛けは一いち本ほんもありゃせんよって、何なんも恐ろしいおそろしい事ことありゃへん』と云いいいました。
椅子いすに腰こしをかけた御ご婆ばあさんは頭あたまを撫でなでて『大きにおおきに』と礼れいを述べのべました。
友人ゆうじんは僕ぼくを顧みかえりみて野趣やしゅがあると笑いわらいました。
僕ぼくも笑いわらいました。
ただ笑っわらっただけではありません。
百ひゃく年ねんも昔むかしの人ひとに生れうまれたような暢気のんきした心持こころもちがしました。
僕ぼくはこういう心持こころもちを御ご土産みやげに東京とうきょうへ持っもって帰りかえりたいと思いおもいます」 僕ぼくも市し蔵くらがこういう心持こころもちを、姉あねへ御ご土産みやげとして持っもって来きてくれればいいがと思っおもった。
十一じゅういち
次つぎのは明石あかしから来きたもので、前まえに比べるくらべると多少たしょう複雑ふくざつなだけに、市し蔵くらの性格せいかくをより鮮やかあざやかに現わしあらわしている。
「今夜こんやここに来きました。月つきが出でて庭にわは明らかあきらかですが、僕ぼくの部屋へやは影かげになってかえって暗いくらい心持こころもちがします。飯めしを食っしょくって煙草たばこを呑んのんで海うみの方ほうを眺めながめていると、――海うみはつい庭先にわさきにあるのです。漣さざなみさえ打たうたない静かしずかな晩ばんだから、河縁かわえんとも池の端いけのはたとも片かたのつかない渚なぎさの景色けしきなんですが、そこへ涼みすずみ船ふねが一いち艘そう流れながれて来きました。その船ふねの形かたち好よしみは夜よるでよく分らわからなかったけれども、幅はばの広いひろい底そこの平たいひらたい、どうしても海うみに浮ぶうかぶものとは思えおもえない穏やかおだやかな形かたちを具えそなえていました。屋根やねは確かたしかあったように覚えおぼえます。その軒のきから画がの具ぐで染めそめた提灯ちょうちんがいくつもぶら下がっぶらさがっていました。薄いうすい光ひかりの奥おくには無論むろん人ひとが坐っすわっているようでした。三味線しゃみせんの音おとも聞こえきこえました。けれども惣そう体からだがいかにも落ちついおちついて、滑るすべるように楽しんたのしんで僕ぼくの前まえを流れながれて行きいきました。僕ぼくは静かしずかにその影かげを見送っみおくって、御ご祖父そふさんの若いわかい時分じぶんの話はなしというのを思い出しおもいだしました。叔父おじさんは固よりもとより御ご存じぞんじでしょう、御ご祖父そふさんが昔むかしの通人つうじんのした月見つきみの舟遊ふなあそびを実際じっさいにやった話はなしを。僕ぼくは母ははから二三にさん度ど聞かさきかされた事ことがあります。屋根船やねぶねを綾瀬あやせ川かわまで漕ぎこぎ上せのぼせて、静かしずかな月つきと静かしずかな波なみの映りうつり合うあう真中まなかに立ったって、用意よういしてある銀扇ぎんせんを開いひらいたまま、夜よるの光ひかりの遠くとおくへ投げるなげるのだと云ういうじゃありませんか。扇おうぎの要ようがぐるぐる廻っまわって、地紙じがみに塗っぬった銀泥ぎんでいをきらきらさせながら水みずに落ちるおちる景色けしきは定めてさだめてみごとだろうと思いおもいます。それもただの一いち本ほんならですが、船ふねのものがそうがかりで、ひらひらする光ひかりを投げなげ競うきそう光景こうけいは想像そうぞうしても凄艶せいえんです。御ご祖父そふさんは銅壺どうこの中なかに酒さけをいっぱい入れいれて、その酒さけで徳利とっくりの燗かんをした後あとをことごとく棄てすてさしたほどの豪奢ごうしゃな人ひとだと云ういうから、銀扇ぎんせんの百ひゃく本ほんぐらい一度いちどに水みずに流しながしても平気へいきなのでしょう。そう云えいえば、遺伝いでんだか何なんだか、叔父おじさんにも貧乏びんぼうな割わりにはと云っいっては失礼しつれいですが、どこかに贅沢ぜいたくなところがあるようですし、あんな内気うちきな母ははにも、妙みょうに陽気ようきな事ことの好きすきな方面ほうめんが昔むかしから見えみえていました。ただ僕ぼくだけは、――こういうとまたあの問題もんだいを持ち出しもちだしたなと早合点はやがてんなさるかも知れしれませんが、僕ぼくはもうあの事ことについて叔父おじさんの心配しんぱいなさるほど屈托くったくしていないつもりですから安心あんしんして下さいください。ただ僕ぼくだけはと断ることわるのはけっして苦いにがい意味いみで云ういうのではありません。僕ぼくはこの点てんにおいて、叔父おじさんとも母ははとも生れつきうまれつき違っちがっていると申しもうしたいのです。僕ぼくは比較的ひかくてき楽らくに育っそだった、物質的ぶっしつてきに幸福こうふくな子こだから、贅沢ぜいたくと知らしらずに贅沢ぜいたくをして平気へいきでいました。着物きものなどでも、母ははの注意ちゅういで、人前ひとまえへ出でて恥かしくはずかしくないようなものを身みに着けつけながら、これが当然とうぜんだと澄ましすましていました。けれどもそれは永くながく習慣しゅうかんに養わやしなわれた結果けっか、自分じぶんで知らしらない不明ふめいから出るでるので、一度いちどそこに気きがつくと、急きゅうに不安ふあんになります。着物きものや食事しょくじはまあどうでもいいとして、僕ぼくはこの間まある富豪ふごうのむやみに金きんを使うつかう様子ようすを聞いきいて恐ろしくおそろしくなった事ことがあります。その男おとこは芸者げいしゃは幇間ほうかんを大勢おおぜい集めあつめて、鞄かばんの中なかから出しだした札さつの束たばを、その前まえでずたずたに裂いさいて、それを御祝儀ごしゅうぎとか称えとなえて、みんなにやるのだそうです。それから立派りっぱな着物きものを着きたまま湯ゆに這入っはいって、あとは三助さんすけにくれるのだそうです。彼かれの乱行らんぎょうはまだたくさんありましたが、いずれも天てんを恐れおそれない暴慢ぼうまん極まるきわまるもののみでした。僕ぼくはその話はなしを聞いきいた時じ無論むろん彼かれを悪みにくみました。けれども気概きがいに乏しいとぼしい僕ぼくは、悪むにくむよりもむしろ恐れおそれました。僕ぼくから彼かれの所行しょぎょうを見るみると、強盗ごうとうが白刃はくじんの抜身ぬきみを畳たたみに突き立てつきたててて良民りょうみんを脅迫きょうはくしているのと同じおなじような感じかんじになるのです。僕ぼくは実じつに天てんとか、人道じんどうとか、もしくは神仏しんぶつとかに対したいして申し訳もうしわけがないという、真正しんせいに宗教的しゅうきょうてきな意味いみにおいて恐れおそれたのです。僕ぼくはこれほど臆病おくびょうな人間にんげんなのです。驕奢きょうしゃに近づかちかづかない先さきから、驕奢きょうしゃの絶頂ぜっちょうに達したっして躍り狂うおどりくるう人ひとの、一転いってん化ばけの後あとを想像そうぞうして、怖くこわくてたまらないのであります。――僕ぼくはこんな事ことを考えかんがえて、静かしずかな波なみの上うえを流れながれて行くいく涼みすずみ船ふねを見送りみおくりながら、このくらいな程度ていどの慰さみが人間にんげんとしてちょうど手頃てごろなんだろうと思いおもいました。僕ぼくも叔父おじさんから注意ちゅういされたように、だんだん浮気うわきになって行きいきます。賞めほめて下さいください。月つきの差すさす二に階かいの客きゃくは、神戸こうべから遊びあそびに来きたとかで、僕ぼくの厭いやな東京とうきょう語ごばかり使っつかって、折々おりおり詩吟しぎんなどをやります。その中なかに艶めかしいなまめかしい女おんなの声こえも交っかっていましたが、二三にさん十分じゅうふん前まえから急きゅうにおとなしくなりました。下女げじょに聞いきいたらもう神戸こうべへ帰っかえったのだそうです。夜よるもだいぶ更けふけましたから、僕ぼくも休みやすみます」
十二じゅうに
「昨夕さくゆうも手紙てがみを書きかきましたが、今日きょうもまた今朝けさ以来いらいの出来事できごとを御ご報知ほうちします。こう続けつづけて叔父おじさんにばかり手紙てがみを上げあげたら、叔父おじさんはきっと皮肉ひにくな薄笑いうすわらいをして、あいつどこへも文ぶんをやる所ところがないものだから、已を得とくず姉あねと己おのれに対したいしてだけ、時間じかんを費やしついやして音信おんしんを怠らおこたらないんだと、腹はらの中なかで云ういうでしょう。僕ぼくも筆ふでを執りとりながら、ちょっとそう云ういう考えかんがえを起しおこしました。しかし僕ぼくにもしそんな愛人あいじんができたら、叔父おじさんはたとい僕ぼくから手紙てがみを貰わもらわないでも、喜こんよろこんで下さるくださるでしょう。僕ぼくも叔父おじさんに音信おんしんを怠っおこたっても、その方ほうが幸福こうふくだと思いおもいます。実じつは今朝けさ起きおきて二に階かいへ上っのぼって海うみを見下しみくだしていると、そういう幸福こうふくな二人ふたり連がつなが、磯いそ通いかよいに西にしの方ほうへ行きいきました。これはことによると僕ぼくと同じおなじ宿やどに泊っとまっている御客ごきゃくかも知れしれません。女おんながクリームくりーむ色いろの洋傘ようがさを翳しかざして、素足すあしに着物きものの裾すそを少しすこし捲りめくりながら、浅いあさい波なみの中なかを、男おとこと並んならんで行くいく後姿うしろすがたを、僕ぼくは羨ましうらやましそうに眺めながめたのです。波なみは非常ひじょうに澄んすんでいるから高いたかい所ところから見下すみくだすと、陸りくに近いちかいあたりなどは、日ひの照るてる空気くうきの中なかと変りかわりなく何なんでも透いすいて見えみえます。泳いえいいでいる海月かいげつさえ判はん切せつ見えみえます。宿やどの客きゃくが二人ふたり出でて来きて泳ぎおよぎ廻っまわっていますが、彼かれらの水中すいちゅうでやる所作しょさが、一挙一動いっきょいちどうことごとく手てに取るとるように見えるみえるので、芸げいとしての水泳すいえいの価値かちが、だいぶ下落げらくするようです。(午前ごぜん七なな時半じはん)」「今度こんどは西洋せいよう人ひとが一人ひとり水みずに浸っひたっています。あとから若いわかい女おんなが出でて来きました。その女おんなが波なみの中なかに立ったって、二に階かいに残っのこっているもう一人ひとりの西洋せいよう人ひとを呼びよびます。『ユーゆー、カムかむ、ヒヤひや』と云っいって英語えいごを使いつかいます。
『イットいっと、イズいず、ヴェリ、ナイスないす、インいん、ウォーターうぉーたー』と云ういうような事ことをしきりに申しもうします。
その英語えいごはなかなか達者たっしゃで流暢りゅうちょうで羨ましいうらやましいくらい旨くうまく出でます。
僕ぼくはとても及ばおよばないと思っおもって感心かんしんして聞いきいていました。
けれども英語えいごの達者たっしゃなこの女おんなから呼ばよばれた西洋せいよう人ひとはなかなか下りくだりて来きませんでした。
女おんなは泳げおよげないんだか、泳ぎおよぎたくないんだか、胸むねから下したを水みずに浸けつけたまま波なみの中なかに立ったっていました。
すると先さきへ下りくだりた方ほうの西洋せいよう人ひとが女おんなの手てを執っとって、深いぶかい所ところへ連れつれて行こういこうとしました。
女おんなは身みを竦めるすくめるようにして拒みこばみました。
西洋せいよう人ひとはとうとう海うみの中なかで女おんなを横よこに抱きいだきました。
女おんなの跳ねはねて水みずを蹴るける音おとと、その笑いわらいながら、きゃっきゃっ騒ぐさわぐ声こえが、遠方えんぽうまで響きひびきました。
(午前ごぜん十じゅう時じ)」「今度こんどは下したの座敷ざしきに芸者げいしゃを二人ふたり連れつれて泊っとまっていた客きゃくが端艇たんていを漕ぎこぎに出でて来きました。この端艇たんていはどこから持っもって来きたか分りわかりませんが、極めてきわめて小さいちいさいかつすこぶる危きしいものです。客きゃくは漕いこいでやるからと云っいって、芸者げいしゃを乗せようのせようとしますが、芸者げいしゃの方ほうでは怖いこわいからと断っことわってなかなか乗りのりません。しかしとうとう客きゃくの意いの通りとおりになりました。その時年じねんの若いわかい方ほうが、わざわざ喫驚きっきょうして見せるみせる科かが、よほど馬鹿ばからしゅうございました。端艇たんていがそこいらを漕ぎこぎ廻っまわって帰っかえって来るくると、年上としうえの芸者げいしゃが、宿屋やどやのすぐ裏うらに繋いつないである和船わせんに向っむかって、船頭せんどうはん、その船ふね空いむなしいていまっかと、大きなおおきな声こえで聞きききました。今度こんどは和船わせんの中なかに、御馳走ごちそうを入れいれて、また海うみの上うえに出るでる相談そうだんらしいのです。見みていると、芸者げいしゃが宿やどの下女げじょを使っつかって、麦酒びーるだの水菓子みずかしだの三味線しゃみせんだのを船ふねの中なかへ運び込まはこびこましておいて、しまいに自分じぶん達とおるも乗りのりました。ところが肝心かんじんの御客ごきゃくはよほど威勢いせいのいい男おとこで、遥かはるか向うむこうの方ほうにまだ端艇たんていを漕ぎこぎ廻しまわしていました。誰だれも乗せのせ手てがなかったと見えみえて、今度こんどは黒くろ裸はだかの浦うらの子こ僧そうを一いち人生じんせい捕っとっていました。芸者げいしゃはあきれた顔かおをして、しばらくその方ほうを眺めながめていましたが、やがて根ねかぎりの大きなおおきな声こえで、阿呆あほうと呼びよびました。すると阿呆あほうと呼ばよばれた客きゃくが端艇たんていをこっちへ漕ぎこぎ戻しもどして来きました。僕ぼくは面白いおもしろい芸者げいしゃでまた面白いおもしろい客きゃくだと思いおもいました。(午前ごぜん十一じゅういち時じ)」「僕ぼくがこんなくだくだしい事ことを物珍らしものめずらしそうに報道ほうどうしたら、叔父おじさんは物もの数奇すうきだと云っいって定めしさだめし苦笑くしょうなさるでしょう。しかしこれは旅行りょこうの御蔭みかげで僕ぼくが改良かいりょうした証拠しょうこなのです。僕ぼくは自由じゆうな空気くうきと共ともに往来おうらいする事ことを始めはじめて覚えおぼえたのです。こんなつまらない話はなしを一々いちいち書くかく面倒めんどうを厭わいとわなくなったのも、つまりは考えかんがえずに観るみるからではないでしょうか。考えかんがえずに観るみるのが、今いまの僕ぼくには一番いちばん薬くすりだと思いおもいます。わずかの旅行りょこうで、僕ぼくの神経しんけいだか性癖せいへきだかが直っなおったと云っいったら、直りなおり方ほうがあまり安っぽくやすっぽくって恥ずかしいはずかしいくらいです。が、僕ぼくは今いまより十じゅう層倍そうばいも安っぽくやすっぽく母ははが僕ぼくを生んうんでくれた事ことを切望せつぼうして已まやまないのです。白帆しらほが雲くものごとく簇ぞくって淡路島あわじとうの前まえを通りとおります。反対はんたいの側がわの松山まつやまの上うえに人丸ひとまろの社しゃがあるそうです。人丸ひとまろという人ひとはよく知りしりませんが、閑かんがあったらついでだから行っいって見ようみようと思いおもいます」
結末けつまつ
敬太郎けいたろうの冒険ぼうけんは物語ものがたりに始まっはじまって物語ものがたりに終っおわった。
彼かれの知ろうしろうとする世の中よのなかは最初さいしょ遠くとおくに見えみえた。
近頃ちかごろは眼めの前まえに見えるみえる。
けれども彼かれはついにその中なかに這入っはいって、何事なにごとも演じえんじ得とくない門外漢もんがいかんに似にていた。
彼かれの役割やくわりは絶えたえず受話器じゅわきを耳みみにして「世間せけん」を聴くきく一種いっしゅの探訪たんぼうに過ぎすぎなかった。
彼かれは森本もりもとの口くちを通しとおして放浪ほうろう生活せいかつの断片だんぺんを聞いきいた。
けれどもその断片だんぺんは輪廓りんかくと表面ひょうめんから成るなる極めてきわめて浅いあさいものであった。
したがって罪つみのない面白味おもしろみを、野性やせいの好奇心こうきしんに充ちみちた彼かれの頭あたまに吹き込んふきこんだだけである。
けれども彼かれの頭あたまの中なかの隙間すきまが、瓦斯がすに似にた冒険ぼうけん譚たんで膨脹ぼうちょうした奥おくに、彼かれは人間にんげんとしての森本もりもとの面影おもかげを、夢現ゆめうつつのごとく見るみる事ことを得とくた。
そうして同じくおなじく人間にんげんとしての彼かれに、知識ちしき以外いがいの同情どうじょうと反感はんかんを与えあたえた。
彼かれは田口たぐちと云ういう実際じっさい家いえの口くちを通しとおして、彼かれが社会しゃかいをいかに眺めながめているかを少しすこし知っしった。
同時どうじに高等こうとう遊民ゆうみんと自称じしょうする松本まつもとという男おとこからその人生観じんせいかんの一部いちぶを聞かさきかされた。
彼かれは親しいしたしい社会的しゃかいてき関係かんけいによって繋がつなぎがれていながら、まるで毛色けいろの異なっことなったこの二人ふたりの対照たいしょうを胸むねに据えすえて、幾分いくぶんか己れおのれの世間せけん的まと経験けいけんが広くひろくなったような心持こころもちがした。
けれどもその経験けいけんはただ広くひろく面積めんせきの上うえにおいて延びるのびるだけで、深さふかさはさほど増しましたとも思えおもえなかった。
彼かれは千代子ちよこという女性じょせいの口くちを通しとおして幼児ようじの死しを聞いきいた。
千代子ちよこによって叙せじょせられた「死し」は、彼かれが世間せけん並なみに想像そうぞうしたものと違っちがって、美びくしい画がを見るみるようなところに、彼かれの快感かいかんを惹いひいた。
けれどもその快感かいかんのうちには涙なみだが交っかっていた。
苦痛くつうを逃れるのがれるために已を得とくず流れるながれるよりも、悲哀ひあいをできるだけ長くながく抱いいだいていたい意味いみから出るでる涙なみだが交っかっていた。
彼かれは独身どくしんものであった。
小児しょうにに対するたいする同情どうじょうは極めてきわめて乏しかっとぼしかった。
それでも美びくしいものが美びくしく死んしんで美びくしく葬そうられるのは憐れあわれであった。
彼かれは雛祭ひなまつりの宵よいに生れうまれた女の子おんなのこの運命うんめいを、あたかも御雛様おひなさまのそれのごとく可憐かれんに聞いきいた。
彼かれは須永すながの口くちから一いち調子ちょうし狂っくるった母子ぼしの関係かんけいを聞かさきかされて驚ろいおどろいた。
彼かれも国元くにもとに一人ひとりの母ははを有つあつ身みであった。
けれども彼かれと彼かれの母ははとの関係かんけいは、須永すながほど親しくしたしくない代りかわりに、須永すながほどの因果いんがに纏綿てんめんされていなかった。
彼かれは自分じぶんが子こである以上いじょう、親子おやこの間まを解しかいし得とくたものと信じしんじて疑わうたがわなかった。
同時どうじに親子おやこの間まは平凡へいぼんなものと諦たいらめていた。
より込み入っこみいった親子おやこは、たとえ想像そうぞうが出来るできるにしても、いっこう腹はらにはこたえなかった。
それが須永すながのために深くふかく掘り下げほりさげられたような気きがした。
彼かれはまた須永すながから彼かれと千代子ちよことの間柄あいだがらを聞いきいた。
そうして彼かれらは必竟ひっきょう夫婦ふうふとして作らつくられたものか、朋友ほうゆうとして存在そんざいすべきものか、もしくは敵てきとして睨み合うにらみあうべきものかを疑っうたがった。
その疑いうたがいの結果けっかは、半分はんぶんの好奇こうきと半分はんぶんの好意こういを駆っかって彼かれを松本まつもとに走らはしらしめた。
彼かれは案外あんがいにも、松本まつもとをただ舶来はくらいのパイプぱいぷを銜えくわえて世の中よのなかを傍観ぼうかんしている男おとこでないと発見はっけんした。
彼かれは松本まつもとが須永すながに対したいしてどんな考かんがえでどういう所ところ置おけを取っとったかを委しくくわしく聞いきいた。
そうして松本まつもとのそういう所ところ置おけを取らとらなければならなくなった事情じじょうも審らかつまびらかにした。
顧みるかえりみると、彼かれが学校がっこうを出でて、始めはじめて実際じっさいの世の中よのなかに接触せっしょくして見みたいと志ざしこころざしてから今日きょうまでの経歴けいれきは、単にたんに人ひとの話はなしをそこここと聞ききき廻っまわって歩いあるいただけである。
耳みみから知識ちしきなり感情かんじょうなりを伝えつたえられなかった場合ばあいは、小川おがわ町まちの停留所ていりゅうしょで洋杖すてっきを大事だいじそうに突いついて、電車でんしゃから下りるおりる霜降そうこうの外套がいとうを着きた男おとこが若いわかい女おんなといっしょに洋食屋ようしょくやに這入るはいる後あとを跟けつけたくらいのものである。
それも今いまになって記憶きおくの台だいに載せのせて眺めるながめると、ほとんど冒険ぼうけんとも探検たんけんとも名づけようなづけようのない児戯じぎであった。
彼かれはそれがために位地いちにありつく事ことはできた。
けれども人間にんげんの経験けいけんとしては滑稽こっけいの意味いみ以外いがいに通用つうようしない、ただ自分じぶんにだけ真面目まじめな、行動こうどうに過ぎすぎなかった。
要するようするに人世じんせいに対したいして彼かれの有するゆうする最近さいきんの知識ちしき感情かんじょうはことごとく鼓膜こまくの働らきはたらきから来きている。
森本もりもとに始まっはじまって松本まつもとに終るおわる幾いく席せきかの長話ながばなしは、最初さいしょ広くひろく薄くうすく彼かれを動かしうごかしつつ漸々ぜんぜん深くふかく狭くせまく彼かれを動かすうごかすに至っいたって突如とつじょとしてやんだ。
けれども彼かれはついにその中なかに這入れはいれなかったのである。
そこが彼かれに物もの足らあしらないところで、同時どうじに彼かれの仕合せしあわせなところである。
彼かれは物もの足らあしらない意味いみで蛇へびの頭あたまを呪いのろい、仕合せしあわせな意味いみで蛇へびの頭あたまを祝ししゅくした。
そうして、大きなおおきな空そらを仰いおっしゃいで、彼かれの前まえに突如とつじょとしてやんだように見えるみえるこの劇げきが、これから先さきどう永久えいきゅうに流転るてんして行くいくだろうかを考えかんがえた。
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