十
第 58 章
約束の音信は至る所からあった。
勘定すると大抵日に一本ぐらいの割になっている。
その代り多くは旅先の画端書に二三行の文句を書き込んだ簡略なものに過ぎなかった。
僕はその端書が着くたびに、まず安心したという顔つきをして、妻からよく笑われた。
一度僕がこの様子なら大丈夫らしいね、どうも御前の予言の方が適中したらしいと云った時、妻は愛想もなく、当り前ですわ、三面記事や小説見たような事が、滅多にあってたまるもんですかと答えた。
僕の妻は小説と三面記事とを同じ物のごとく見傚す女であった。
そうして両方とも嘘と信じて疑わないほど浪漫斯に縁の遠い女であった。
端書に満足した僕は、彼の封筒入の書翰に接し出した時さらに眉を開いた。
というのは、僕の恐れを抱いていた彼の手が、陰欝な色に巻紙を染めた痕迹が、そのどこにも見出せなかったからである。
彼の状袋の中に巻き納めた文句が、彼の端書よりもいかに鮮かに、彼の変化した気分を示しているかは、実際それを読んで見ないと分らない。
ここに二三通取ってある。
彼の気分を変化するに与かって効力のあったものは京都の空気だの宇治の水だのいろいろある中に、上方地方の人の使う言葉が、東京に育った彼に取っては最も興味の多い刺戟になったらしい。
何遍もあの辺を通過した経験のあるものから云うと馬鹿げているが、市蔵の当時の神経にはああ云う滑らかで静かな調子が、鎮経剤以上に優しい影響を与え得たのではなかろうかと思う。
なに若い女の?
それは知らない。
無論若い女の口から出れば効目が多いだろう。
市蔵も若い男の事だから、求めてそう云う所へ近づいたかも知れない。
しかしここに書いてあるのは、不思議に御婆さんの例である。
――「僕はこの辺の人の言葉を聞くと微かな酔に身を任せたような気分になります。ある人はべたついて厭だと云いますが、僕はまるで反対です。厭なのは東京の言葉です。むやみに角度の多い金米糖のような調子を得意になって出します。そうして聴手の心を粗暴にして威張ります。僕は昨日京都から大阪へ来ました。今日朝日新聞にいる友達を尋ねたら、その友人が箕面という紅葉の名所へ案内してくれました。時節が時節ですから、紅葉は無論見られませんでしたが、渓川があって、山があって、山の行き当りに滝があって、大変好い所でした。友人は僕を休ませるために社の倶楽部とかいう二階建の建物の中へ案内しました。そこへ這入って見ると、幅の広い長い土間が、竪に家の間口を貫ぬいていました。そうしてそれがことごとく敷瓦で敷きつめられている模様が、何だか支那の御寺へでも行ったような沈んだ心持を僕に与えました。この家は何でも誰かが始め別荘に拵えたのを、朝日新聞で買い取って倶楽部用にしたのだとか聞きましたが、よし別荘にせよ、瓦を畳んで出来ている、この広々とした土間は何のためでしょう。僕はあまり妙だから友人に尋ねて見ました。ところが友人は知らんと云いました。もっともこれはどうでも構わない事です。ただ叔父さんがこう云う事に明らかだから、あるいは知っておいでかも知れないと思って、ちょっと蛇足に書き添えただけです。僕の御報知したいのは実はこの広い土間ではなかったのです。土間の上に下りていた御婆さんが問題だったのです。御婆さんは二人いました。一人は立って、一人は椅子に腰をかけていました。ただし両方ともくりくり坊主です。その立っている方が、僕らが這入るや否や、友人の顔を見て挨拶をしました。そうして『おや御免やす。今八十六の御婆さんの頭を剃っとるところだすよって。――御婆さんじっとしていなはれや、もう少しだけれ。――よう剃ったけれ毛は一本もありゃせんよって、何も恐ろしい事ありゃへん』と云いました。
椅子に腰をかけた御婆さんは頭を撫でて『大きに』と礼を述べました。
友人は僕を顧みて野趣があると笑いました。
僕も笑いました。
ただ笑っただけではありません。
百年も昔の人に生れたような暢気した心持がしました。
僕はこういう心持を御土産に東京へ持って帰りたいと思います」 僕も市蔵がこういう心持を、姉へ御土産として持って来てくれればいいがと思った。
十一
次のは明石から来たもので、前に比べると多少複雑なだけに、市蔵の性格をより鮮やかに現わしている。
「今夜ここに来ました。月が出て庭は明らかですが、僕の部屋は影になってかえって暗い心持がします。飯を食って煙草を呑んで海の方を眺めていると、――海はつい庭先にあるのです。漣さえ打たない静かな晩だから、河縁とも池の端とも片のつかない渚の景色なんですが、そこへ涼み船が一艘流れて来ました。その船の形好は夜でよく分らなかったけれども、幅の広い底の平たい、どうしても海に浮ぶものとは思えない穏やかな形を具えていました。屋根は確かあったように覚えます。その軒から画の具で染めた提灯がいくつもぶら下がっていました。薄い光の奥には無論人が坐っているようでした。三味線の音も聞こえました。けれども惣体がいかにも落ちついて、滑るように楽しんで僕の前を流れて行きました。僕は静かにその影を見送って、御祖父さんの若い時分の話というのを思い出しました。叔父さんは固より御存じでしょう、御祖父さんが昔の通人のした月見の舟遊を実際にやった話を。僕は母から二三度聞かされた事があります。屋根船を綾瀬川まで漕ぎ上せて、静かな月と静かな波の映り合う真中に立って、用意してある銀扇を開いたまま、夜の光の遠くへ投げるのだと云うじゃありませんか。扇の要がぐるぐる廻って、地紙に塗った銀泥をきらきらさせながら水に落ちる景色は定めてみごとだろうと思います。それもただの一本ならですが、船のものがそうがかりで、ひらひらする光を投げ競う光景は想像しても凄艶です。御祖父さんは銅壺の中に酒をいっぱい入れて、その酒で徳利の燗をした後をことごとく棄てさしたほどの豪奢な人だと云うから、銀扇の百本ぐらい一度に水に流しても平気なのでしょう。そう云えば、遺伝だか何だか、叔父さんにも貧乏な割にはと云っては失礼ですが、どこかに贅沢なところがあるようですし、あんな内気な母にも、妙に陽気な事の好きな方面が昔から見えていました。ただ僕だけは、――こういうとまたあの問題を持ち出したなと早合点なさるかも知れませんが、僕はもうあの事について叔父さんの心配なさるほど屈托していないつもりですから安心して下さい。ただ僕だけはと断るのはけっして苦い意味で云うのではありません。僕はこの点において、叔父さんとも母とも生れつき違っていると申したいのです。僕は比較的楽に育った、物質的に幸福な子だから、贅沢と知らずに贅沢をして平気でいました。着物などでも、母の注意で、人前へ出て恥かしくないようなものを身に着けながら、これが当然だと澄ましていました。けれどもそれは永く習慣に養われた結果、自分で知らない不明から出るので、一度そこに気がつくと、急に不安になります。着物や食事はまあどうでもいいとして、僕はこの間ある富豪のむやみに金を使う様子を聞いて恐ろしくなった事があります。その男は芸者は幇間を大勢集めて、鞄の中から出した札の束を、その前でずたずたに裂いて、それを御祝儀とか称えて、みんなにやるのだそうです。それから立派な着物を着たまま湯に這入って、あとは三助にくれるのだそうです。彼の乱行はまだたくさんありましたが、いずれも天を恐れない暴慢極まるもののみでした。僕はその話を聞いた時無論彼を悪みました。けれども気概に乏しい僕は、悪むよりもむしろ恐れました。僕から彼の所行を見ると、強盗が白刃の抜身を畳に突き立てて良民を脅迫しているのと同じような感じになるのです。僕は実に天とか、人道とか、もしくは神仏とかに対して申し訳がないという、真正に宗教的な意味において恐れたのです。僕はこれほど臆病な人間なのです。驕奢に近づかない先から、驕奢の絶頂に達して躍り狂う人の、一転化の後を想像して、怖くてたまらないのであります。――僕はこんな事を考えて、静かな波の上を流れて行く涼み船を見送りながら、このくらいな程度の慰さみが人間としてちょうど手頃なんだろうと思いました。僕も叔父さんから注意されたように、だんだん浮気になって行きます。賞めて下さい。月の差す二階の客は、神戸から遊びに来たとかで、僕の厭な東京語ばかり使って、折々詩吟などをやります。その中に艶めかしい女の声も交っていましたが、二三十分前から急におとなしくなりました。下女に聞いたらもう神戸へ帰ったのだそうです。夜もだいぶ更けましたから、僕も休みます」
十二
「昨夕も手紙を書きましたが、今日もまた今朝以来の出来事を御報知します。こう続けて叔父さんにばかり手紙を上げたら、叔父さんはきっと皮肉な薄笑いをして、あいつどこへも文をやる所がないものだから、已を得ず姉と己に対してだけ、時間を費やして音信を怠らないんだと、腹の中で云うでしょう。僕も筆を執りながら、ちょっとそう云う考えを起しました。しかし僕にもしそんな愛人ができたら、叔父さんはたとい僕から手紙を貰わないでも、喜こんで下さるでしょう。僕も叔父さんに音信を怠っても、その方が幸福だと思います。実は今朝起きて二階へ上って海を見下していると、そういう幸福な二人連が、磯通いに西の方へ行きました。これはことによると僕と同じ宿に泊っている御客かも知れません。女がクリーム色の洋傘を翳して、素足に着物の裾を少し捲りながら、浅い波の中を、男と並んで行く後姿を、僕は羨ましそうに眺めたのです。波は非常に澄んでいるから高い所から見下すと、陸に近いあたりなどは、日の照る空気の中と変りなく何でも透いて見えます。泳いでいる海月さえ判切見えます。宿の客が二人出て来て泳ぎ廻っていますが、彼らの水中でやる所作が、一挙一動ことごとく手に取るように見えるので、芸としての水泳の価値が、だいぶ下落するようです。(午前七時半)」「今度は西洋人が一人水に浸っています。あとから若い女が出て来ました。その女が波の中に立って、二階に残っているもう一人の西洋人を呼びます。『ユー、カム、ヒヤ』と云って英語を使います。
『イット、イズ、ヴェリ、ナイス、イン、ウォーター』と云うような事をしきりに申します。
その英語はなかなか達者で流暢で羨ましいくらい旨く出ます。
僕はとても及ばないと思って感心して聞いていました。
けれども英語の達者なこの女から呼ばれた西洋人はなかなか下りて来ませんでした。
女は泳げないんだか、泳ぎたくないんだか、胸から下を水に浸けたまま波の中に立っていました。
すると先へ下りた方の西洋人が女の手を執って、深い所へ連れて行こうとしました。
女は身を竦めるようにして拒みました。
西洋人はとうとう海の中で女を横に抱きました。
女の跳ねて水を蹴る音と、その笑いながら、きゃっきゃっ騒ぐ声が、遠方まで響きました。
(午前十時)」「今度は下の座敷に芸者を二人連れて泊っていた客が端艇を漕ぎに出て来ました。この端艇はどこから持って来たか分りませんが、極めて小さいかつすこぶる危しいものです。客は漕いでやるからと云って、芸者を乗せようとしますが、芸者の方では怖いからと断ってなかなか乗りません。しかしとうとう客の意の通りになりました。その時年の若い方が、わざわざ喫驚して見せる科が、よほど馬鹿らしゅうございました。端艇がそこいらを漕ぎ廻って帰って来ると、年上の芸者が、宿屋のすぐ裏に繋いである和船に向って、船頭はん、その船空いていまっかと、大きな声で聞きました。今度は和船の中に、御馳走を入れて、また海の上に出る相談らしいのです。見ていると、芸者が宿の下女を使って、麦酒だの水菓子だの三味線だのを船の中へ運び込ましておいて、しまいに自分達も乗りました。ところが肝心の御客はよほど威勢のいい男で、遥か向うの方にまだ端艇を漕ぎ廻していました。誰も乗せ手がなかったと見えて、今度は黒裸の浦の子僧を一人生捕っていました。芸者はあきれた顔をして、しばらくその方を眺めていましたが、やがて根かぎりの大きな声で、阿呆と呼びました。すると阿呆と呼ばれた客が端艇をこっちへ漕ぎ戻して来ました。僕は面白い芸者でまた面白い客だと思いました。(午前十一時)」「僕がこんなくだくだしい事を物珍らしそうに報道したら、叔父さんは物数奇だと云って定めし苦笑なさるでしょう。しかしこれは旅行の御蔭で僕が改良した証拠なのです。僕は自由な空気と共に往来する事を始めて覚えたのです。こんなつまらない話を一々書く面倒を厭わなくなったのも、つまりは考えずに観るからではないでしょうか。考えずに観るのが、今の僕には一番薬だと思います。わずかの旅行で、僕の神経だか性癖だかが直ったと云ったら、直り方があまり安っぽくって恥ずかしいくらいです。が、僕は今より十層倍も安っぽく母が僕を生んでくれた事を切望して已まないのです。白帆が雲のごとく簇って淡路島の前を通ります。反対の側の松山の上に人丸の社があるそうです。人丸という人はよく知りませんが、閑があったらついでだから行って見ようと思います」
結末
敬太郎の冒険は物語に始まって物語に終った。
彼の知ろうとする世の中は最初遠くに見えた。
近頃は眼の前に見える。
けれども彼はついにその中に這入って、何事も演じ得ない門外漢に似ていた。
彼の役割は絶えず受話器を耳にして「世間」を聴く一種の探訪に過ぎなかった。
彼は森本の口を通して放浪生活の断片を聞いた。
けれどもその断片は輪廓と表面から成る極めて浅いものであった。
したがって罪のない面白味を、野性の好奇心に充ちた彼の頭に吹き込んだだけである。
けれども彼の頭の中の隙間が、瓦斯に似た冒険譚で膨脹した奥に、彼は人間としての森本の面影を、夢現のごとく見る事を得た。
そうして同じく人間としての彼に、知識以外の同情と反感を与えた。
彼は田口と云う実際家の口を通して、彼が社会をいかに眺めているかを少し知った。
同時に高等遊民と自称する松本という男からその人生観の一部を聞かされた。
彼は親しい社会的関係によって繋がれていながら、まるで毛色の異なったこの二人の対照を胸に据えて、幾分か己れの世間的経験が広くなったような心持がした。
けれどもその経験はただ広く面積の上において延びるだけで、深さはさほど増したとも思えなかった。
彼は千代子という女性の口を通して幼児の死を聞いた。
千代子によって叙せられた「死」は、彼が世間並に想像したものと違って、美くしい画を見るようなところに、彼の快感を惹いた。
けれどもその快感のうちには涙が交っていた。
苦痛を逃れるために已を得ず流れるよりも、悲哀をできるだけ長く抱いていたい意味から出る涙が交っていた。
彼は独身ものであった。
小児に対する同情は極めて乏しかった。
それでも美くしいものが美くしく死んで美くしく葬られるのは憐れであった。
彼は雛祭の宵に生れた女の子の運命を、あたかも御雛様のそれのごとく可憐に聞いた。
彼は須永の口から一調子狂った母子の関係を聞かされて驚ろいた。
彼も国元に一人の母を有つ身であった。
けれども彼と彼の母との関係は、須永ほど親しくない代りに、須永ほどの因果に纏綿されていなかった。
彼は自分が子である以上、親子の間を解し得たものと信じて疑わなかった。
同時に親子の間は平凡なものと諦らめていた。
より込み入った親子は、たとえ想像が出来るにしても、いっこう腹にはこたえなかった。
それが須永のために深く掘り下げられたような気がした。
彼はまた須永から彼と千代子との間柄を聞いた。
そうして彼らは必竟夫婦として作られたものか、朋友として存在すべきものか、もしくは敵として睨み合うべきものかを疑った。
その疑いの結果は、半分の好奇と半分の好意を駆って彼を松本に走らしめた。
彼は案外にも、松本をただ舶来のパイプを銜えて世の中を傍観している男でないと発見した。
彼は松本が須永に対してどんな考でどういう所置を取ったかを委しく聞いた。
そうして松本のそういう所置を取らなければならなくなった事情も審らかにした。
顧みると、彼が学校を出て、始めて実際の世の中に接触して見たいと志ざしてから今日までの経歴は、単に人の話をそこここと聞き廻って歩いただけである。
耳から知識なり感情なりを伝えられなかった場合は、小川町の停留所で洋杖を大事そうに突いて、電車から下りる霜降の外套を着た男が若い女といっしょに洋食屋に這入る後を跟けたくらいのものである。
それも今になって記憶の台に載せて眺めると、ほとんど冒険とも探検とも名づけようのない児戯であった。
彼はそれがために位地にありつく事はできた。
けれども人間の経験としては滑稽の意味以外に通用しない、ただ自分にだけ真面目な、行動に過ぎなかった。
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。
森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。
けれども彼はついにその中に這入れなかったのである。
そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。
彼は物足らない意味で蛇の頭を呪い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。
そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。