彼岸過迄

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五

第 53 章
僕ぼくはかつてある学者がくしゃの講演こうえんを聞いきいた事ことがある。
その学者がくしゃは現代げんだいの日本にっぽんの開化かいかを解剖かいぼうして、かかる開化かいかの影響えいきょうを受けるうけるわれらは、上滑りうわすべりにならなければ必ずかならず神経しんけい衰弱すいじゃくに陥いるおちいるにきまっているという理由りゆうを、臆面おくめんなく聴衆ちょうしゅうの前まえに曝露ばくろした。
そうして物ものの真相しんそうは知らしらぬ内うちこそ知りしりたいものだが、いざ知っしったとなると、かえって知らしらぬが仏ふつですましていた昔むかしが羨ましくうらやましくって、今いまの自分じぶんを後悔こうかいする場合ばあいも少なくすくなくはない、私わたくしの結論けつろんなどもあるいはそれに似にたものかも知れしれませんと苦笑くしょうして壇だんを退ぞいしりぞいた。
僕ぼくはその時じ市蔵いちぞうの事ことを思い出しおもいだして、こういう苦いにがい真理しんりを承わらうけたまわらなければならない我々われわれ日本人にっぽんにんも随分ずいぶん気の毒きのどくなものだが、彼かれのようにたった一人ひとりの秘密ひみつを、攫もうつかもうとしては恐れおそれ、恐れおそれてはまた攫もうつかもうとする青年せいねんは一層いっそう見み惨むごに違いあるまいと考えかんがえながら、腹はらの中なかで暗にあんに同情どうじょうの涙なみだを彼かれのために濺いだ。
これは単にたんに僕ぼくの一族いちぞく内うちの事ことで、君きみとは全くまったく利害りがいの交渉こうしょうを有ゆうたない話はなしだから、君きみが市し蔵くらのためにせっかく心配しんぱいしてくれた親切しんせつに対するたいする前まえからの行こうがかりさえなければ、打ち明けうちあけないはずだったが、実じつを云ういうと、市し蔵くらの太陽たいようは彼かれの生れうまれた日ひからすでに曇っくもっているのである。
僕ぼくは誰だれにでも明言めいげんして憚からはばからない通りとおり、いっさいの秘密ひみつはそれを開放かいほうした時じ始めはじめて自然しぜんに復るもどる落着らくちゃくを見るみる事ことができるという主義しゅぎを抱いいだいているので、穏便おんびんとか現状げんじょう維持いじとかいう言葉ことばには一般いっぱんの人ひとほど重きおもきを置いおいていない。
したがって今日きょうまでに自分じぶんから進んすすんで、市し蔵くらの運命うんめいを生れうまれた当時とうじに溯っさかのぼって、逆ぎゃくに照らしてらしてやらなかったのは僕ぼくとしてはむしろ不思議ふしぎな手落ておちと云っいってもいいくらいである。
今いま考えかんがえて見るみると、僕ぼくが市し蔵くらに呪わのろわれる間際まぎわまで、なぜこの事件じけんを秘密ひみつにしていたものか、その意味いみがほとんど分らわからない。
僕ぼくはこの秘密ひみつに風かぜを入れいれたところで、彼かれら母子ぼしの間柄あいだがらが悪くわるくなろうとは夢ゆめにも想像そうぞうし得とくなかったからである。
市し蔵くらの太陽たいようは彼かれの生れうまれた日ひからすでに曇っくもっていたという僕ぼくの言葉ことばの裏うらに、どんな事実じじつが含まふくまれているかは、彼かれと交りまじわりの深いぶかい君きみの耳みみで聞いきいたら、すでに具体的ぐたいてきな響ひびきとなって解っわかっているかも知れしれない。
一口ひとくちでいうと、彼かれらは本当ほんとうの母子ぼしではないのである。
なお誤解ごかいのないように一言ひとことつけ加えるつけくわえると、本当ほんとうの母子ぼしよりも遥かはるかに仲なかの好いよい継母ままははと継子けいしなのである。
彼かれらは血ちを分けわけて始めてはじめて成立せいりつする通俗つうぞくな親子関係おやこかんけいを軽蔑けいべつしても差支さしつかえないくらい、情愛じょうあいの糸いとで離れはなれられないように、自然しぜんからしっかり括りくくりつけられている。
どんな魔まの振るふる斧おのの刃はでもこの糸いとを絶ちたち切るきる訳わけに行かいかないのだから、どんな秘密ひみつを打ち明けうちあけても怖こわがる必要ひつようはさらにないのである。
それだのに姉あねは非常ひじょうに恐れおそれていた。
市し蔵くらも非常ひじょうに恐れおそれていた。
姉あねは秘密ひみつを手てに握っにぎったまま、市し蔵くらは秘密ひみつを手てに握らにぎらせられるだろうと待ち受けまちうけたまま、二人ふたりして非常ひじょうに恐れおそれていた。
僕ぼくはとうとう彼かれの恐れるおそれるものの正体しょうたいを取り出しとりだして、彼かれの前まえに他意たいなく並べならべてやったのである。
僕ぼくはその時じの問答もんどうを一々いちいちくり返しくりかえして今いま君きみに告げるつげる勇気ゆうきに乏しいとぼしい。
僕ぼくには固よりもとよりそれほどの大事件だいじけんとも始はじめから見えみえず、またなるべく平気へいきを装うよそおう必要ひつようから、つまり何なんでもない事ことのように話しはなしたのだが、市し蔵くらはそれを命がけいのちがけの報知ほうちとして、必死ひっしの緊張きんちょうの下したに受けうけたからである。
ただ前まえの続きつづきとして、事実じじつだけを一口ひとくちに約めつづめて云ういうと、彼かれは姉あねの子こでなくって、小間使こましの腹はらから生れうまれたのである。
僕ぼく自身じしんの家いえに起っおこった事ことでない上うえに、二十五にじゅうご年ねん以上いじょうも経っきょうった昔むかしの話はなしだから、僕ぼくも詳しいくわしい顛末てんまつは知ろうしろうはずがないが、何しろなにしろその小間使こましが須永すながの種しゅを宿しやどした時じ、姉あねは相当そうとうの金きんをやって彼女かのじょに暇ひまを取らしとらしたのだそうである。
それから宿やどへ下っしたった妊婦にんぷが男の子おとこのこを生んうんだという報知ほうちを待っまって、また子供こどもだけ引き取っひきとって表ひょう向むかい自分じぶんの子ことして養育よういくしたのだそうである。
これは姉あねが須永すながに対するたいする義理ぎりからでもあろうが、一いちつは自分じぶんに子このできないのを苦くにしていた矢先やさきだから、本気ほんきに吾子あことして愛しむいつくしむ考かんがえも無論むろん手伝ってつだったに違いない。
実際じっさい彼かれらは君きみの見るみるごとく、また吾々われわれの見るみるごとく、最ももっとも親しいしたしい親子おやことして今日きょうまで発展はってんして来きたのだから、御ご互たがいに事情じじょうを明しあかし合っあったところで毫もごうも差支さしつかえの起るおこる訳わけがない。
僕ぼくに云わいわせると、世間せけんにありがちな反はんの合あわせない本当ほんとうの親子おやこよりもどのくらい肩身かたみが広いひろいか分りゃわかりゃしない。
二人ふたりだって、そうと知っしった上うえで、今までいままでの睦まじむつまじさを回顧かいこした時じの方ほうが、どんなに愉快ゆかいが多いおおいだろう。
少なくすくなくとも僕ぼくならそうだ。
それで僕ぼくは市し蔵くらのために特にとくにこの美びくしい点てんを力ちからのあらん限りかぎり彩るいろどる事ことを怠らおこたらなかった。
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