彼岸過迄

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一

第 31 章
雨あめの降るふる日ひに面会めんかいを謝絶しゃぜつした松本まつもとの理由りゆうは、ついに当人とうにんの口くちから聞くきく機会きかいを得とくずに久しくひさしく過ぎすぎた。
敬太郎けいたろうもそのうちに取り紛れとりまぎれて忘れわすれてしまった。
ふとそれを耳みみにしたのは、彼かれが田口たぐちの世話せわで、ある地位ちいを得とくたのを縁故えんこに、遠慮えんりょなく同家どうけへ出入でいりのできる身みになってからの事ことである。
その時分じぶんの彼かれの頭あたまには、停留所ていりゅうしょの経験けいけんがすでに新らしいあたらしい匂いにおいを失いかけうしないかけていた。
彼かれは時々ときどき須永すながからその話はなしを持ち出さもちだされては苦笑くしょうするに過ぎすぎなかった。
須永すながはよく彼かれに向っむかって、なぜその前まえに僕ぼくの所ところへ来きて打ち明けうちあけなかったのだと詰問きつもんした。
内幸町うちさいわいちょうの叔父おじが人ひとを担ぐかつぐくらいの事ことは、母ははから聞いきいて知っしっているはずだのにと窘なめる事こともあった。
しまいには、君きみがあんまり色気いろけがあり過ぎるすぎるからだと調ちょう戯たわむれい出しだした。
敬太郎けいたろうはそのたびに「馬鹿ばか云えいえ」で通しとおしていたが、心こころの内うちではいつも、須永すながの門前もんぜんで見みた後姿うしろすがたの女おんなを思い出しおもいだした。
その女おんながとりも直さなおさず停留所ていりゅうしょの女おんなであった事ことも思い出しおもいだした。
そうしてどこか遠くとおくの方ほうで気恥かしいきはずかしい心持こころもちがした。
その女おんなの名なが千代子ちよこで、その妹いもうとの名なが百代子ひゃくだいしである事ことも、今いまの敬太郎けいたろうには珍らしいめずらしい報知ほうちではなかった。
彼かれが松本まつもとに会っかいって、すべて内幕うちまくの消息しょうそくを聞かさきかされた後あと、田口たぐちへ顔かおを出すだすのは多少たしょうきまりの悪いわるい思おもうをするだけであったにかかわらず、顔かおを出さださなければ締め括りしめくくりがつかないという行きがかりいきがかりから、笑わわらわれるのを覚悟かくごの前まえで、また田口たぐちの門もんを潜っもぐった時じ、田口たぐちははたして大きなおおきな声こえを出しだして笑っわらった。
けれどもその笑わらいの中なかには己れおのれの機略きりゃくに誇るほこる高慢こうまんの響ひびきよりも、迷っまよった人ひとを本来ほんらいの路みちに返しかえしてやった喜びよろこびの勝利しょうりが聞こえきこえているのだと敬太郎けいたろうには解釈かいしゃくされた。
田口たぐちはその時じ訓戒くんかいのためだとか教育きょういくの方法ほうほうだとかいった風かぜの、恩おんに着せきせた言葉ことばをいっさい使わつかわなかった。
ただ悪意あくいでした訳わけでないから、怒っどってはいけないと断わっことわって、すぐその場ばで相当そうとうの位置いちを拵らえこしらえてくれる約束やくそくをした。
それから手てを鳴らしならして、停留所ていりゅうしょに松本まつもとを待ち合わせまちあわせていた方ほうの姉娘あねむすめを呼んよんで、これが私わたくしの娘むすめだとわざわざ紹介しょうかいした。
そうしてこの方ほうは市しさんの御ご友達ともだちだよと云っいって敬太郎けいたろうを娘むすめに教えおしえていた。
娘むすめは何なんでこういう人ひとに引き合ひきあいされるのか、ちょっと解しかいしかねた風かぜをしながら、極めてきわめてよそよそしく叮嚀ていねいな挨拶あいさつをした。
敬太郎けいたろうが千代子ちよこという名なを覚えおぼえたのはその時じの事ことであった。
これが田口たぐちの家庭かていに接触せっしょくした始めはじめての機会きかいになって、敬太郎けいたろうはその後そのあとも用事ようじなり訪問ほうもんなりに縁えんを藉りかりて、同じおなじ人ひとの門もんを潜るもぐる事ことが多くおおくなった。
時々ときどきは玄関げんかん脇わきの書生しょせい部屋へやへ這入っはいって、かつて電話でんわで口くちを利き合っききあった事ことのある書生しょせいと世間せけん話はなしさえした。
奥おくへも無論むろん通るとおる必要ひつようが生じしょうじて来きた。
細君さいくんに呼ばよばれて内向ないこうの用ようを足すたす場合ばあいもあった。
中学校ちゅうがっこうへ行くいく長男ちょうなんから英語えいごの質問しつもんを受けうけて窮するきゅうする事ことも稀まれではなかった。
出入でいりの度数どすうがこう重なるかさなるにつれて、敬太郎けいたろうが二人ふたりの娘むすめに接近せっきんする機会きかいも自然しぜん多くおおくなって来きたが、一種いっしゅ間まの延びのびた彼かれの調子ちょうしと、比較的ひかくてき引き締っひきしまった田口たぐちの家風かふうと、差向いさしむかいで坐るすわる時間じかんの欠乏けつぼうとが、容易よういに打ち解けうちとけがたい境遇きょうぐうに彼かれらを置き去りおきざりにした。
彼かれらの間まに取りとり換かえわされた言葉ことばは、無論むろん形式けいしきだけを重んずるおもんずる堅苦しいかたくるしいものではなかったが、大抵たいていは五ご分ぶんとかからない当用とうように過ぎすぎないので、親しみしたしみはそれほど出るでる暇ひまがなかった。
彼かれらが公然こうぜんと膝ひざを突き合わせつきあわせて、例れいになく長いながい時間じかんを、遠慮えんりょの交こうらない談話だんわに更かしふかしたのは、正月しょうがつ半ばなかばの歌留多かるた会かいの折おりであった。
その時じ敬太郎けいたろうは千代子ちよこから、あなた随分ずいぶん鈍いにぶいのねと云わいわれた。
百代子ひゃくだいしからは、あたしあなたと組むくむのは厭いやよ、負けるまけるにきまってるからと怒らおこられた。
それからまた一いちカ月かげつほど経っきょうって、梅うめの音信おんしんの新聞しんぶんに出るでる頃ころ、敬太郎けいたろうはある日曜にちようの午後ごごを、久しぶりひさしぶりに須永すながの二に階かいで暮しくらした時じ、偶然ぐうぜん遊びあそびに来きていた千代子ちよこに出逢っであった。
三さん人ひとしてそれからそれへと纏まらまとまらない話はなしを続けつづけて行くいくうちに、ふと松本まつもとの評判ひょうばんが千代子ちよこの口くちに上っのぼった。
「あの叔父おじさんも随分ずいぶん変っかわってるのね。雨あめが降るふると一しきりひとしきりよく御客ごきゃくを断わっことわった事ことがあってよ。今いまでもそうかしら」
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